想定内を求める世間。予定調和を求める世間。

最近、いや最近に限ったことではないのかもしれないが、世間は予定調和であふれている。メディアも予定調和に呼応する。それを受け取る人間も、予定調和に安心する。

しかし予定調和はしばしば破綻する。それはテレビ上で、ネット上で、あるいは身の回りで。いったん予定調和が崩れると批判の嵐。現代社会で言う「炎上」というやつか。

「予定調和を求める」ということを言いかえると、「レールに乗って走る」ということか。多くの人々は、レールにしがみつき、レールに乗っていることに安心する。そしてレールから外れた、社会で言う「失敗者」を徹底的に批判する。

この様な習慣が日本だけのものかどうか、僕は世界を見渡した訳ではないのではっきりとはわからないが、アメリカ・欧州などではいかに「出る杭になるか」を競い合う。日本はと言えば「出る杭は打たれる」という言葉があることからも言うまでもない。

しかし現在は日本でも、「出すぎた杭」は評価されるようになったのではないかと僕は感じるが、どうだろうか?もちろん、「出すぎた杭」になるためには、途中過程として「出る杭」にならなければならない。つまり出すぎた杭になるためには、それまでの過程で猛烈な向かい風を受けるわけだ。

出すぎた杭になりたいと思う人は、たくさんいると思う。しかし猛烈な向かい風を切り抜ける覚悟はあるか?異端者になるための試練である。

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