常識を疑う。

人間というものは、日々常識に基づいて生きている。常識通りに生きることが良いか悪いかは別としても、日常生活において毎回常識を疑って行動していれば何も取り組めなくなるし、進むものも進まなくなる。従って常識を知るという事は人間にとって必要不可欠なものだ。

しかし、常に常識が正しいわけではない。別に重要ではない事に対して深く疑う必要はないかもしれないが、自分の生きる進路に関わる事や自分の深い信念に関わることに対しては、それが本当に正しい事か?あるいは本当にそうすべきか?という事を熟考しなければならない。そうすれば、意外とこれまでの常識が正しくなかったり的外れであることに気付く。そしてそれが正しくないことに気付けばそれはチャンスだ。なぜなら自分がそれを本当に正しい事に導ける可能性が出て来るし、新しい発見につながることがあるからだ。

科学研究というものは、まずは常識を疑うことから始まる。というより、常識通りにしか出来なければ、単なるこれまでの常識の確認にしか過ぎない。科学とは常識の覆しの繰り返しである。だから、これまでに積み重ねられて来た知識の習得より、これからのビジョンの方がはるかに大事である。知識があり計算能力に優れていても、ビジョンのない者は結果を出すことはできない。ところが日本においては、ビジョンを持つことの重要性を指摘する人があまりにも少ない。それに対して、受験勉強の重要性を認識している人は多いが、受験勉強とはこれまでの知識の習得であり、それだけでは何も未来を切り開けないのである。

常識を疑うことはかなりエネルギーがいる。ある意味、常識に従うことの方がはるかに楽なのである。世の中では常識を知っているか?知らないか?という事が人間を判断する基準にされることが多いが、それ以上に重要なのは常識を疑うことが出来るエネルギーがあるか?ということである。そして新しい荒野を切り開くことが出来るのは往往として常識を疑うことが出来る人間である。常識を疑いどこまで真理に迫れるか?それは人間が生きる上で非常にエキサイティングな挑戦であると言える。

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