崇拝対象の風刺画

映画監督の宮崎駿さんが、「異質文化の崇拝対象に対する風刺画は間違いである」と言っておられた。私もその通りだと思う。風刺画を描いている欧米人は表現の自由という言葉を掲げて自分たちの行為を正当化しているが、見方を変えると彼らのしていることは、異文化の否認、排除であり、自分たちの文化を異文化圏に押し付ける行為でもある。

以前私のブログでこのようなテーマで書いたが、風刺画を描く行為自体は犯罪行為ではない。決して取り締まったりされるべきものではないが、法律的に許されているからと言って、それがすべき事とは限らない。ましてや称賛すべきことでは決してない。彼らのやっていることは、自分たちの思想の陳腐さ、レベルの低さをさらけ出しているようなものだ。

私はイスラムを信仰しているしているわけでは全くないが、彼らの文化を否定するつもりもない。

宮崎駿さんも言っておられるが、風刺画とは自国の政治家を皮肉って書いてこそ威力を発揮する。権力に対する抵抗である。本来、権力に対する抵抗が、他国の文化の卑下ともとられるような行為に使ってどうする。

欧米の思想哲学は近代的で、何百年もの発展の歴史があり素晴らしいところも多々ある。しかし一部の政治家をはじめ一部の民衆は、それを勘違いしている。今回の風刺画に対する称賛はその最たる例である。その一番の犠牲になっているのは、普通に生活しているイスラム市民であることを忘れてはいけない。

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