審美的純文学の重要性。

最近アメリカでは審美的な国文学、つまり英純文学よりも、社会的・人権的主張を訴える文学が人気があり、重要視されているという記事を見た。アメリカでの文学を取り巻く状況がどうなのか、僕には判断はできないが、最近の世界的潮流を見ると、社会的な文学が幅を利かせており、審美的純文学が軽視されているように思える。

社会的文学は人間の生活にもつながるところがあり、ある意味非常に有用であるように思えるが、純文学は国家・国民のアイデンティティーを表現するものとも思え、これもまた非常に重要なものである。

日本で言えば、審美的純文学の代表は川端康成であろう。その一方で、社会的文学の代表例は大江健三郎と言えるかもしれない。どちらもノーベル文学賞を受賞されているが、作風は対照的といえる。

この文学に関する話は、科学についても言えるかもしれない。審美的純文学にあたるのが純粋基礎科学、社会的文学にあたるのが応用・実用科学。実用科学は役に立つのでその重要性はわかりやすいが、純粋基礎科学の科学的価値をどれだけ理解できるか、それは国民の成熟度につながるところである。

純文学と純粋基礎科学の価値を理解できる人間を少しでも多くすることは、今世界的な課題なのかもしれない。

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