実用を極度に重んじる文化について

今日、とある数学の専門書を読んだ。その本の序章で古代ギリシャ時代の最も傑出した数学者アルキメデスのことに触れていたのだが、そこでこのようなことを書いていた。

「ギリシャの実用を極度に軽じる文化の中にあって、・・・」

という文言だ。

古代ギリシャ時代は極度に学問的・抽象的な対象にこそ価値があるとされていた。そこでは学問は貴族、実用性のある工学などは奴隷がするものである、ともとれるような風潮があった。しかし現在の科学に基づいた社会の基礎は、ギリシャの抽象的学問から始まったと言える。

そのような古代ギリシャの文化とは対照的に、現在の社会は極度に実用性を重視しすぎる。科学的価値もいかに役に立つかということに重きを置かれているように感じる。しかし科学の真の価値は役に立つかどうかで判断されるものではない。科学の価値とは、内容の科学的豊富さ・科学的美点・一般性にある。いわば科学とは本来芸術に近いものなのである。そのような思想を極度まで推し進めたのが古代ギリシャ文化である。

古代ギリシャとまでは言わなくても、現在の実用至上主義はいきすぎだと感じる科学者も多く、もう一度学問的・科学的・哲学的価値に基づいた判断によって見直すべきではないかと思う。

役に立つかどうかで判断することは簡単だ。役に立つかどうかは誰が見てもわかる。何も考えなくてもわかるのである。しかし学問的価値・科学的価値を理解するためにはそれ相応の教養が必要だ。現在の大学教育は実用性重視に偏ってきつつある。しかし多くの大学では最初の二年間を「一般教養課程」と呼び、教養を身に付けることを重視してきた。これらの教養は人間としての格を身に付けることでもある。しかし実用的価値判断に偏った無教養社会になれば、そこに住む人々、そして社会全体が薄っぺらなものになってしまう。

今、ギリシャは財政破たんに関する問題で混乱している。そんなギリシャも古代には現在でも模範とすべき立派な学問文化が存在した。今一度古代ギリシャを見返し教養の大切さを確認する必要があるのではないかと思う。

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