学問を“道”と捉える。

日本には“道”という概念がある。柔道や剣道などのスポーツから、茶道や書道などの文化まで、日本の隅々まで道の概念は浸透している。外国人にとって道という概念を理解するのは非常に難しいことかもしれない。しかしほとんどの日本人は道という概念のイメージくらいは持っていると思われる。

学問を道と捉えられることはあまりない。その理由は、学問の多くは起源を欧米に持ち、その精神も欧米的に熟成されているからだと思われる。しかし日本人が学問を究める姿はどことなく道の雰囲気が漂っている。僕はそれは一つの極め方としてアリだと思っている。学問を道と捉えて極めるのは、おそらく日本人にしかできない。

その一方、欧米の学問スタイルにも大きな魅力がある。それは“徹底的に自由なスタイル”である。欧米の多くの学問は非常に自由である。自由であるが故に独創的な発想も生まれる。それに対して日本人は“こうあるべきだ”という固定観念を持ちがちである。もちろん“こうあるべきだ”と思っていることを追求するというのも一つの手だが、一つ間違えるとガチガチに固まり学問において最も重要な柔軟性を失ってしまう。

学問に対する取り組み姿勢としては“道”と捉えて精進することは非常に素晴らしいことだし、そのような日本人にしかできない姿勢を貫くべきだと思う。しかし思考の在り方は徹底的に自由でなければならない。そのように学問の“道”と“自由”を徹底的に極めることが、学問を進歩させるうえでの大きな突破口になると感じている。

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