大本営(公式)情報と非公式情報とをどう解釈するか?

政府や官庁から発表される公式発表や企業などが発表する公式情報、つまり大本営情報と非公式情報をどう解釈し向き合うか?これは意外と難しい微妙な問題である。大本営情報だけに言及して行けば、全ての責任から逃れられるだろう。もし大本営情報が間違っていれば責任は発表した組織側にあり、受け取った方は騙された被害者となるからである。しかし大本営情報だけしか見なければ、全ての市民は思うように操られることになる。すなわち非公式の情報を入手することは生きて行く上で必要不可欠である。

しかし非公式情報の中にはどこの骨ともわからないものもたくさんある。信頼できる筋の情報もあれば、全く信用できない筋の情報もある。特にネット社会となった現在では、誰もが情報発信者になることが出来、情報の質というものを考えた時、非常に怪しい情報の方がはるかに多いことになる。そのような現在においては、やはり新聞などのメディアの質は相対的高くなり、信頼できる情報源として必要不可欠である。

もちろんフェイクニュースなどは論外であるが、フェイクニュースが世の中を動かすことがある現実を考えれば、情報の質に対する世の中の意識はかなり低いと言わざるを得ない。多くの情報を入手するという以前に、情報の質というものに目を光らせなければならない。とは言うものの、もちろん100%真偽を見抜くということは当事者でない限り不可能だ。しかし90%見抜くことは意識の持ちようで十分に可能である。

ではそのような意識を持ち真偽を見抜くためにはどうすればいいか?そのためにはやはり一次情報を確認するしかない。事実を確認する、あるいはサイエンスにおいては原論文に当たるということである。そのためには一次情報である大本営発表を確認することは不可欠であるが、時には大本営発表が偽物であることもある。それを見抜くためには社会全体の流れや概観、そして整合性を掴む必要がある。すなわち全体的な骨格と細部の両方を掴まなければならない。そのためにはただ情報をインプットするだけではなく、自分からアウトプットして行くことが必要だ。なぜならアウトプットするためには物事の概観と整合性を掴むことが必要不可欠だからである。

社会や物事の本質を掴むためにも、大本営発表と非公式発表の真偽を大局的な観点から判断し、知識を構成して行くことが必要である。

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