地球外知的生物はいるのか?

地球外知的生物の存在に関しては、いつの時代も話題になる。地球外知的生物とは、いわゆる宇宙人であると言える。宇宙人だと言ってしまえば話は変な方向(オカルト系)に行ってしまうことが多いが、多くの科学者は地球外知的生物、つまり宇宙人はいるだろうと本気で考えている。僕自身も以前は地球外知的生物はほぼ間違いなくいるだろうと考えていた。その根拠は、地球と言う宇宙の一つの星に知的生物が存在するという事実から、宇宙に存在する無数の星の中には知的生物が存在する星があると考える方が至って自然であろうと言う考えからだ。そしてこのような考えを根拠にすると、知的生物が存在する星の数は数個・数十個ではなく、何万、あるいはそれ以上あると考えるのが自然だ。

しかし、僕はある分野の知見を得ることによって、考えは大きく変わった。つまり、宇宙にいる知的生物が地球上の人間だけである可能性も非常に高いと言うことだ。では、何を根拠にそのような結論を出したのか?それは進化論だ。進化論と言えばダーウィンを思うが、現在はダーウィンの自然淘汰による進化論を基礎にしつつも、非常に高度な理論に発展している。その中に、数学(特に確率論・統計学)に基づいた数理進化学と言うものがある。そして数理進化学は、数理遺伝学に基づいている。つまり、進化を遺伝子レベルで考察し、数理モデルを構築していくと言うものだ。

このような分子的な遺伝子レベルで進化を考えると、人間が誕生するまでの進化の歴史は偶然と奇跡の連続であることがわかる。そのようなことは、数学を駆使して解析することによって鮮明になってくる。地球においても、人間が誕生する確率はほぼゼロであった可能性がある。しかし偶然に偶然が重なって、偶然に人間が誕生したと言えるのである。そのような事が数学的解析によって鮮明になるのは特筆的である。

例えば、猿にタイプライターを打たせてシェークスピアを書かせることは出来るか?と言う例え話がある。これは適当にタイプライター打っても、シェークスピアと同じ文章が書ける確率がゼロではない言う話だ。実際は、シェークスピアの長さを考えると、100億年打ち続けても偶然書き上げられる可能性はほぼゼロである。なので正岡子規の俳句にしよう。猿がタイプライターを適当に打って正岡子規の俳句が出来上がる可能性はほぼゼロであろう。しかし正岡子規の俳句が出来上がったのである。(実際は、猿が打って出来上がった俳句を「正岡子規の俳句」と名付けたと言うべきであろう。)正岡子規の俳句に当たるのが、地球での人間誕生なのである。

地球上に人間が誕生したからと言って、宇宙の他の星にも知的生物がいるという結論を出すのは早計だ。数理遺伝学による進化論からは、そのような結論を出すことができる。しかし、このことを証明することは容易ではない。知的生物がいるのならばその星を見つければいいが、いないことを証明するのはいわゆるブラックスワンがいないことを証明する問題に当たる。

地球は奇跡の星なのか?ありふれた星なのか?この答えに結論を出せる日が来るのかどうかは分からないが、数理遺伝学的に進化論を考えると、地球は奇跡の星である可能性が非常に高いと言えるのではなだろうか。

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