又吉さんの「火花」論評をめぐって

最近の文芸関係の話題はもっぱら、芥川龍之介賞を受賞した又吉さんの「火花」だ。初めに告白するが、僕はまだ火花を読んでいない。なので火花の中身についてとやかく言う資格はないのかもしれないが、火花を取り巻く周りの状況、特に文芸マニア・文芸評論家たちの論評が少しおかしいのではないかと感じているのでこのブログ記事を書くことにした。

一般市民の間では火花の注目度は非常に高く、純粋に面白いと感じる人は多いみたいだ。そして何より200万部以上売り上げた(8月14日現在)という事実は驚がく的であり、その凄さは素直に認めるべきである。

しかしこの火花を、そしてその売り上げを断固として認めない連中がいる。いわゆる文芸マニア・文芸評論家たちだ。彼ら彼女らは火花が売れれば売れるほど「アンチ火花・アンチ又吉」の姿勢を強め、またそれが業界のステータスになっているみたいである。そして彼らの批判的な論評を読んでみても、「良い作品と売れる作品は違う」ということを異常に強調しているが、内容に関しての論評は全くと言ってない。火花を読んだと思われる形跡がないのである。

もちろん火花を読んで率直に気に入らないのなら、どこが気に入らないかを詳しく論じればいい。それが評論家というものだ。しかし読みもせずに単に「芸人が書いた、知名度で売れた小説」と初めから見下して読まないのはいかがなものかと思う。

あるプロレス関係者は、「全てのジャンルはマニアが潰す」と発言したそうである。今それが又吉さんの火花をめぐって起きているのではないかと思う。僕には文学の芸術的な表現はあまり理解できないが、多くの人が買って読んでいるということは、火花の内容が多くの人に受け入れられる表現をされているとして評価すべきだと思う。文学は文学マニア・文学評論家だけのためにあるのではない。マニア・評論家はそこを勘違いしている。

又吉ブームが落ち着いた頃、僕も一度火花を読んでみたいと思ってるが、その時また読んだことを踏まえてブログに記事を書いてみようと思う。

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