八百万の神。

欧米と日本の宗教観の決定的な違いは、一神教か八百万(やおろず)の神かということだろう。欧米ではキリスト教ならキリストが唯一の神であり、その他の神が存在することを許さない。イスラム教もアラーが唯一の神である。しかし日本にはあらゆる神があらゆるところに存在する。例えば山に神が存在したり、木に神が宿っていたりする。あるいは今僕が使っている椅子や机にも神が宿っているのかもしれない。

これらの宗教観はあらゆるところに反映されている。それはサイエンスだって例外ではない。

ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えて宗教裁判にかけられたという話は有名だ。そのような宗教観の下、それを覆すような斬新な科学理論を唱えるのには知能だけではなく強い覚悟もいる。そのような覚悟を持ちサイエンスを進化させたガリレイやニュートンには敬服の念を抱く。しかしそのような抑制下において強い信念の下に研究を進めたからこそ、革命的な科学理論を唱えることができたのかもしれない。

それに比べて、八百万の神の国の日本ではサイエンスに対する抑制は軽いように思われる。だからこそ欧米の進歩したサイエンスを何の疑いもなく受け入れ、崇めたのかもしれない。しかし何の批判もなく科学の新論を崇めることは危険に思える。どうやら日本には、欧米のような批判の文化は根付いていないようだ。欧米哲学、特にドイツ哲学を見れば、その基盤は全て批判することにあることがわかる。

近年では日本ではiPS細胞が大きな話題となっている。もちろんそれは悪いことではないし、山中伸弥教授が発見した日本発の技術を盛り上げることは、日本にとって意味のあることである。しかしサイエンスでは流行から流行は生まれないと僕は思っている。流行に乗っている限り、次の世代の流行を生み出せない。すなわち、現在の流行に乗ることではなく、次の世代の流行を作ることが重要である。そのためにはいかにして本質を見抜くかということが重要である。

話しは初めに戻るが、一神教の欧米ではなく、八百万の神の日本だからできるサイエンスがあるはずだ。例えばiPS細胞やES細胞など多能性幹細胞の研究では倫理観が強い影響を与える。そして自然界の最も基礎的な理解を与える素粒子論などの基礎物理学もそうである。これから日本がサイエンスの研究において突き抜けることができる事があるとすれば、そのような思想が強く影響するところではないかと強く感じる。

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