他人を信じるか?自分を信じ抜くか?

自分を信じ抜くということが出来ていない人が意外と多い。日本では他人の意見を尊重することが大事だと教えられ、それが人徳だとも言われている。そのこと自体は決して間違ってはいない。物事は多様であり、それらの多様性を大事にするためにも人の考えは尊重しなければならない。しかし尊重すべきは他人の「思考」の結果出てきた意見であって、既定路線をダダ流しするだけの言葉や固定観念から出てくる意見、そして自己保身のための言葉を認める事ではない。特にどこからか仕入れてきた情報を口からスピーカーのように流すだけの言葉なんてどうでもいい。

しかし、他人を信じることは大事だ。なぜなら人間にはどうしても自分だけでは出来ないことがあるからだ。自分が出来ないことは他人を信じるしかない。それに他人を疑ってばかりでは人間の器が小さくなるばかりだ。時には他人に行方を丸投げするくらいの心構えも必要だ。それは部下を信じ自分は責任だけを負う将校にも似ている。

しかし、自分で考えられることは出来る限り自分の思考で導き出すことが筋だ。特に自分の進むべき道は、自分で考え抜いて導き出さなければならない。他人の意見に従い、それで失敗して他人に責任を押し付けるなどということは論外である。自分で結論を出し、全ての責任は自分で負う。そのような行動の繰り返しによって人間は成長するのだと思う。逆に言えば、それが出来ない人は退化して行くということだ。

「自分を信じ抜く」ということは、「自分で全ての責任を負う」ということだ。つまり、自分で思考できない人間は、自分で責任を負うという決断さえもできないのである。安易に他人を信じるということは、自分の自我の放棄である。そして自分の人間性さえも無にしてしまう。自分が人間である限り、自分で思考し、自分で決断し、自分を信じ抜くべきである。極論を言えば、それが出来なければ人間でないということだ。そういう意味で人間である人がどれだけいるか?もしかしたら意外に少ないのかもしれない。

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