人間の命が有限であることに救われる。

北朝鮮の金王朝(金日成・金正日・金正恩)は、不老不死を望み、北朝鮮では不老不死の研究がされていると聞いたことがある。しかし不老不死とはいかず、金日成・金正日はこの世を去り、金正恩は暴君として振る舞っている。

ところで、不老不死は本当に理想なのだろうか?希望なのだろうか?僕はそうは全く思わない。人間は命が有限であることに救われていると感じている。

手塚治虫の著書に「火の鳥」という漫画がある。火の鳥の血を飲めば永遠の命が得られるとされ、人々は火の鳥を求め続ける。その中で永遠の命を得た人間が出てくる。そこで描かれているのは、永遠の命を得た人間の気の遠くなるような地獄である。正確に言うと「永遠に生きられる」ではなく「死ぬことができない」と言った方が正しい。死ぬことができないとははっきり言って地獄である。

人間は死ぬことによってリセットできる。もちろんリセットと言っても、死んだ後はもう何もないのだが。良かったこと、うれしかったこと、苦しかったことも死ぬことによって全てが無になるのである。このことを悔しがる人も多いとは思うが、僕はこれは人間の救いだと思っている。

こんなことを言っても、宗教とかそんなことに関連付けようとは毛頭思っていない。ただ、死ぬことをネガティブなことではなくてポジティブにとらえることも大事ではないかと思っているのである。

もちろん、不幸な死を遂げる人もいることは事実だ。そのような死まで救いだとは言うつもりはない。ただ、永遠の命などというものは追求すべきことではない、命は有限であるからこそ価値があるのだと言いたいのである。

有限の命だからこそ、命を大切にしたい。

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