人生勝ち負けに非ず

数日前のブログで「プロスポーツは勝ち負けが一番大事だ」というようなことを書いたが、それはあくまでプロスポーツに限ったことである。もちろん勝ち負けが重要なことはたくさんある。しかしこと人生に関しては決して勝ち負けだけで評価されるものではないし、そんな単純なものではない。

こんなことを書いたのは、最近いたるところで「勝ち組負け組」ということにこだわる風潮があることに疑問を感じているからだ。仕事で出世して順調に結婚したものが勝ち組と叫び、周りの者もそういう者を勝ち組と持ち上げうらやましがる。そして正社員になれず結婚ができなかったものは自分を卑下し負け組だと落ち込む。しかし僕に言わせれば、そのような卑下するような気持ちを持つこと自体が負け組であって、正社員でないことなど負け組でもなんでもない。それでも周りの者はそういう人間を負け組と呼ぶかもしれない。しかしそこで周りの人間の言うことに同調して負け組だと自覚することが負け組なのである。

しかし人生何も勝つために生きているのではない。もちろん勝つことを命じられるときもある。その時は勝負であり、勝ち負けが重要である。しかし勝ち組だ負け組だなんて気にする前にとにかく行動を起こさなければいけない。行動を起こさずして、信念を持たざるして負け組だと言うなら、それは負けるべくして負けたと言うべきであろう。

人間の命は有限である。どうあがいても150年生きることは100%無理なのである。しかし人生は有限であるからこそ非常に価値あるものなのである。子供の頃は人生は永遠に続くのではないかという錯覚に陥る。しかしある程度歳を取ると人生の有限性を自覚するようになる。そこでその限られた時間の中で自分はこれからどう生きるべきか、自問自答を繰り返す。人生の有限性を自覚した時、人間はより深みのあるものへと変わるのである。

自分の人生が勝ち組だ負け組だなんていうくだらないことを考える前に、これからどう生き、どう人生を深くしていくか、何度も繰り返し問い詰め、中身の詰まった深い人間にならなければならない。

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