人格と精神。裁判の判定理由において。

重大事件の裁判において、”精神鑑定”がよくされる。犯罪の原因が精神疾患なのか、人格によるものなのかを見極めようということであろう。

しかし、人格というものは精神から来るものであり、そういう意味で精神と人格を区別しようというのは的を得ていないように思う。

精神には自分でコントロールできる部分と、自分でコントロールできない部分がある。精神はコントロールできるという意味で、人格形成もある程度自分の意識次第でコントロールできる。

精神とは人間の中枢であり、人間そのものと言っても過言ではない。即ち、人間を高めるためには、精神を高めなければならない。自分はどのような人間になりたいのか?それは人さまざまではあるが、自分のなりたい人間になるためには技術的な事を向上させるだけではダメで、人間性も高めなければならない。

実際、超一流の仕事人は、技術とともに人間性も超一流だ。イチローや山中伸弥教授などを見ていてもひしひしと感じる。

どこまで自分を高めることができるか?そのために時間をかけるのはいいことだが、人間には寿命という制限時間があることを頭の片隅に置いておかなければならない。

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