人と違う道を進むのなら。

物事に対して何かの決断をする時、前例やデータを吟味して、マニュアルに則って進めるのが筋なのかもしれない。しかしそのようにするには、前例があり、データがあり、マニュアルがある事が前提となる。そしてそれらに則って行うということは、二番煎じ、三番煎じであるということである。しかし全く新しい所に全く新しい事を構築する時、多くの場合、前例もデータもマニュアルも存在しない。そこで頼るべきは自分の思考力のみである。人と違う道を進むのなら、徹底的に思考しなければならない。

人と違う道を進むということは、孤独である。しかし孤独というものは悪いものではない。孤独を愛せる者が自分独自の道を歩める。何やら社会では孤独ということが大問題になっている。僕には孤独の何が問題なのか全く理解できないが、これほど孤独が問題になるということは、孤独を愛せない人が大多数であるということなのかもしれない。孤独を愛し自分一人で道なき道を進めることは大きな強みである。大多数の人は無難な道を取ろうとする。それは孤独を愛せない事の裏返しである。孤独は悪い事であるどころか、むしろ自分を飛躍させる大チャンスである。多人数で戯れている限り、ブレークスルーは生まれない。

近年、「炎上」が度々話題になる。その内容は様々で、炎上するのももっともだと思える事から、なぜ炎上するのかわからない事もある。僕自身は炎上するのは全然かまわないと思っている。もし自分の信念に基づいて出た行動なら、何も炎上したからと言って謝る必要はない。僕が一番許せないのは、軽い考えを出して炎上して、すぐに謝罪することである。炎上内容以上に、すぐに謝罪するという軽さが許せない。そのような人はその程度の軽い人間なのであろう。自分の信念に基づいて人と違う道を進んでいる人にとって、むしろ二度や三度の炎上は受けるべきである。そのような炎上はむしろ誇りであると僕は思う。

日本では「出る杭は打たれる」とよく言われる。海外の事を詳しく知っている訳ではないが、それでも日本の「人と違う行動をする人を叩く」という風潮は異常に感じる。そのような中で独創性が生まれるわけがない。しかし実際は少ないながらも独創性を発揮する日本人がいる。そのような人間になるためには、相当自分の信念に自信を持ち、荒波の中にでも飛び込めるような人でなければならない。しかし、無難に過ごしながら最大の対価を得るためにはどうすればよいか?と多くの人は考える。一言で言えば「ノーリスク、ハイリターン」を求めていると言える。それが多くの日本人の現状である。

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