不条理を正当化してはいけない

世の中、社会、そして身の回りは不条理なことだらけだ。そしてその中で生きていくためには、不条理であることを前提に、いかに不条理な世界の中で上手く立ち回るかということに重きを置かなくてはならない。

しかしそれは不条理を正当化してもいい理由にはならない。

「不条理なことはなくさなければならない」、それは確かに理想論かもしれない。しかし理想論のないところに平和は訪れない。理想論があるからこそ、理想に一歩でも近づけようと前進する。初めから不条理なことが当たり前だと認めてしまえば、全く良くならない。

これが会社や人好付き合いのレベルの話ならまだいい。世界に目を向けると、純真な子供たちをはじめ、全く罪のない人たちが紛争などで殺されるなど犠牲になっている。これこそ最高の不条理だ。この様な状態を、不条理なのが世の中の摂理だと認めていいはずがない。そういう所にこそ最高の理想を掲げなければならない。純真な子供に、社会が不条理なことを教えてどうする。そんなことをやっても不条理が不条理を生み出すだけだ。

これから先の世界を担っていくのは、現在の子供だ。そしてその子供たちが希望を見出せる世界を作り出すために、大人は今を少しでも理想に近づけなければならない。

人質事件で殺害された後藤健二さんも、おそらくこのようなことを伝えたかったのではないだろうか。彼は私とは違って、自分の目でその不条理な惨状を目の当たりにしてきた。日本国内で平和に生きている我々には感じられないこともたくさん感じてきただろう。だからこそ、後藤さんには生きて帰ってきてほしかった。そしてそれらの現状を、国内でぬくぬくと暮らしている我々に伝えてほしかった。

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