プロテニスプレーヤーの40%が1ポンドも稼げていない。「プロ」に対する僕の持論

プロテニスプレーヤーの約40パーセントが、1ポンド(167円)も稼げていないらしい。それに対して現在世界ランク7位の錦織圭選手は年間23億円稼げており、錦織選手は非常に恵まれているという声がある。さらに言うと、フェデラーは18年間で115億円稼いでいるという。野球に目を移すと、最近のメジャーリーグ選手の年棒の異常な高騰に賛否両論がある。

これらの状況について僕の結論を先に言うと、これらのプロスポーツ選手の現状に賛同する。

プロスポーツ選手は会社員・サラリーマンではない。彼らは「プロ」なのである。プロであるからには、結果を出してナンボ、結果を出さなければ何のリターンもないのは当然である。そういう意味では非常に高リスクな道を歩いている人たちである。そして高リスクである彼ら・彼女らには、結果を出せば莫大なリターンを得るのも当然である。正直言って、世界ランク何百位というプロテニスプレーヤーに対して、プロとしての価値はほとんどないのである。確かに世界で何百位と言うのは非常にレベルの高いプレーヤーだ。しかしこれは一般アマチュアから見た目であって、プロの世界では彼らの上には何百人ものプレーヤーが存在するのである。

サラリーマンと「プロ」を同じ目で見てはいけない。「プロ」に対していくつかの定義がある。もちろん社会的な定義としては、プロテストに合格して、その競技で飯を食っている人たちと言える。しかし僕はプロとは「プロ意識」を持っていることが必須だと思う。プロたちは高リスクを覚悟の上でその世界に飛び込んでいる。最近、プロテニスの下部のプレーヤーの賞金を上げようという話があるらしいが、プロの世界に何百位というプレーヤーの存続にほとんど意味はない。僕の持論として、プロとは常に世界トップを目指す人たちであるべきである。初めから100位を目指しているプロなんて存在しなくていい。100位を目指して、金もそこそこくれなどと言うのは勘違いも甚だしい。しかし世界でトップのプレーヤーには莫大な賞金(成功報酬)を与えられるべきである。であるから、錦織選手が23億円稼ぐのも、フェデラーが115億稼ぐのも当然のことなのである。なぜなら彼らは「世界トップ」の選手なのだから。

プロはスポーツだけとは限らない。学問の世界でも同じだと思っている。数学のプロならば世界から注目を浴びるレベルの成果をあげなければならないと思っている。そしてそれだけの成果をあげた数学者はトッププロテニスプレーヤーと同じくらいの報酬を与えるべきだ。

ところが現状は、既存の結果にちまちまと継ぎ足して論文を量産している学者があまりにも多い。言うならば、「サラリーマン学者」とでも言うべきであろうか。もちろん彼らの多くは大学などの教育機関で教育に従事している。報酬はそれらの教育に対する対価と見るべきではないかと思う。

最後に僕自身のことであるが、僕自身は研究で稼いである金額はゼロである。しかしそれは当然のことだと思っている。まだ結果を出していないのだから。かと言ってサラリーマン学者を目指そうとは思っていない。なぜならば、僕は数理物理に対して「プロ意識」を持っているから。今は報酬などゼロでいい。しかし大きな結果を出すことに成功した暁には高リターンを求める。プロとはそういう世界だと思っているから。

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