プライド。

プライドの是非については意見が分かれるところだ。プライドにこだわる人もいれば、プライドなどいらないという人もいる。確かに平穏に生きるためには、プライドなどはない方が良いのかもしれない。特にくだらないプライドは絶対に持つべきではない。しかし自分が自分らしく生きるために、さらに人間らしく生きるためには、必要なプライドも必ずあると僕は考えている。

自分が人間らしく生きることを放棄するならば、さらに言えばアメーバとして生きるのならば、プライドなどは一切持つ必要はない。そもそもアメーバに思考能力はないのだから、プライドなどはできるはずがない。プライドを持っているとはある意味人間である証拠である。しかし繰り返すようだが、不必要なプライドは持つべきではない。持つべきプライドを持つということが重要なのである。

持つべきプライドを持つということは、かなり強い意志が必要である。意志と持つべきプライドは直結する。そして意志は行動に直結するものだから、プライドは意志を介して行動に表れる。すなわち、プライドが全くなければ、それも行動に表れる。だからその人がどのような意志を持ち、どのようなプライドを持っているかは、行動を見れば瞬時に判断できる。意志も持つべきプライドもない人は、アメーバのような動きをしているはずだ。

僕には明確な意志がある。そして強いプライドもある。ただ必要なプライドだけを持っているかと言われれば、無駄なプライドもたくさん持ってしまっていることも事実だ。だから完全な人間からは程遠い。もちろん完全な人間になろうとは寸分も思っていないが、自分が目指そうと思っている人間像はある。そのような人間に近づくためには、無駄なプライドを捨てなければならないと感じている。そして持つべきプライドは死守する。

完全な人間にはならないし、なれもしないが、いろいろな意味でとことん面白い人間にはなりたいものである。

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