アリバイを作らない。

白洲次郎は決してアリバイを作ろうとはしなかったという。アリバイは時には大事だが、多くの場合保身でもある。結果的にアリバイはあればいいが、決してアリバイを作ろうとは思わない方がいい。

現在の政治家問題に関しても、あるいは日大問題に関しても、大人たちは大人のアリバイ作りに必死になっているように思える。もちろんそれが正しいアリバイならまだいいかもしれない。しかし現在のアリバイの応酬は偽りのアリバイに思えてならない。偽りのアリバイなら、まだ何もない方がましだ。

アリバイを作らないということは、考えようによっては非常に危険に思えるかもしれない。しかしアリバイを作らないという姿勢で一貫すれば、長い目で見れば信頼度も増し、決して悪いことではない。目先の事ばかり見て判断するのではなく、長い目で見て判断することが大事である。

危険に危険を重ねれば、ある意味感覚も麻痺してくるが、判断基準になるラインが変わり高い所を目指すことができるようになる。そのように意図的に自分の感覚を麻痺させることも、非常に重要な人生戦略である。

アリバイ作りに精を出し、コソコソと生きるような真似だけはしたくはない。とは言え、現段階でそれが完全にできているかといえばまだそこまではいっていない。

アリバイを作らないという行為も、自分の生き方の自由度を上げるための重要な戦略だ。そのような自分の目指す生き方をするためにも、今は一歩一歩自分のラインを上げていくしかない。

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