どこまで「資本の論理」を受け入れるべきなのか?

現代社会のスタンダードシステムは間違いなく「資本主義」である。あるいは「民主主義」だと言える。20世紀には中国・ロシアを中心とする「共産主義」や「社会主義」といったシステムがあったが(もちろん現在もある)、誰が見ても成功したとは言えない。現在では中国までもが積極的に資本の論理を取り入れている。資本主義というものは一見成功したように見えるが、はたしてそれは本当に正しいのであろうか?

資本主義や民主主義は「正しい」とか「正義だ」とよく言われるが、資本主義であっても問題は山積している。貧富の格差の拡大や環境汚染、未来の事を考えない「現在至上主義」などが挙げられるが、これらの問題を解決するためには資本主義や民主主義というものを見返すことが必要だ。自由市場主義によって利益は最大化されると言われるが、総数が増えてもそれが一部に偏っていれば理想から離れている。民主主義は全ての民衆の意見を反映できると言われているが、結局多数意見だけがまかり通ってしまう。もちろん、社会主義、共産主義と比べればはるかにマシなシステムである。しかしだからと言ってこれからも従来のシステムのままで良いかと言われれば決してそうではないはずだ。

拝金主義でなくても、「お金はいくらあっても困ることはない」という考えを持つ人は多い。だから際限なくお金を求めてしまう。儲かる所に資本を集中させ、利益を上げる事を第一目標に掲げて行動を起こす。このような資本の論理に問題はないのか?と言われれば、現在あらゆるところで問題が露呈していると言える。まずは環境問題。経済最優先の行動や政策を実行するが故に、そこから発生する環境汚染には無頓着になってしまう。環境問題が重要な問題だと思いながらも、自分たちの利益を優先するが故に行動を起こせない。原発問題はその最たるものであろう。事故が起きてもまだ経済効率化の夢を見ている。資本主義と民主主義の行きついたところがそれである。

民主主義の理想は確かに悪くない。そして資本主義に関しても良いところはたくさんある。しかし今はそれを大幅に補正すべきではないだろうか?確かに民主主義、資本主義に代わる理念は簡単には出てこないかもしれない。だが今はそれらをバージョンアップすべきだ。現在のシステムのままだと、明らかに地球が持たない。自然が持たない。そして人間が持たない。ではどうすれば補正の指針を見つけられるのか?それは、人間が便利さばかりを追求することを自制することだ。いったん便利さを味わった人間は後には戻れない。そして人間はエンドレスに便利さを求めている。例えそれが破滅へと向かう道であっても。

今人間が見ている未来予想図は、どれを見ても限りなく便利な社会である。それに理想を持っている人も多いかもしれない。しかしそれが虹色の社会だと言えるのか?そのような社会で人間が人間らしく生きることが出来るのか?僕はどうしてもそうは思えない。そして現在に生きる人間が未来に生きる人間に対して負債を重ね続けるようなことはあってはならないことだ。現在至上主義から未来志向主義へと変革する必要があるのではないだろうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA