あえて実用性から遠い所を行く。

近年、社会の価値観が実用一辺倒になって来ているように思える。もちろん生きていくためにはお金を稼がないといけないし、役に立つことを発明することによって世の中は便利になって行く。そのためには、実用的な事を進めて行くことは絶対に必要であるし、実用性と言うものは大きな価値を持つ。

では世の中の人すべてが実用性を追求すれば良いのか?と問われれば、僕は違うと考えている。実用性を向上させて便利な社会を築いていく人が9割必要ならば、あえて実用性から離れた所を行く人が1割必要だと思っている。例えばプロスポーツなどは実用性とは遠い位置にあるし、科学においても実用性とは関係ないところに位置する基礎的学問が存在する。しかし人類の長いスパンで考えた時、僕は今すぐ役に立つ実用性の高い取り組みよりも、あえて実用性から遠い所にある基礎的取り組みの方が圧倒的に重要な役割を担っていると僕は考えている。

その理由はいくつかある。一つは、今役に立たなくても、将来大きく役に立つ可能性が高いということだ。二つ目は、実用性がなくても価値のあると思われることは、本質的な価値があると考えられることだ。本質的な価値とは、人類の思想や本能的知的行動、そして人類の本質的なレベルに関することだ。この二つ目の価値は、なかなか万人には理解され難い。しかし、基礎的学問の本質的価値とはそこに集約されているのである。そうでなければ、だれも純粋数学などやらないはずだ。しかしこのような事を理解してもらうために、一つ目の理由、すなわち将来役に立つかもしれないという理由を持ち出さなければならないことは、非常に悲しいことだ。

実用的な事は、実用性のないことに支えられている。僕はそう考えている。そして世の中の9割の人が、いや、99%の人が役に立つことに取り組んでいるからこそ、僕は残りの1%になってあえて実用性から遠い所を進もうと思う。実用性はないが本質的な価値があること、そのような事は万人には理解されないが、一人でも多くの人が理解し、人類の基礎の底上げをより良い環境で取り組めて行ける世の中になって欲しいと強く願うものである。

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