「論語」読み始め

最近、孔子の論語を読み始めた。論語入門者である。これまでニーチェ、ショーペンハウアーなどのドイツ哲学、西田幾多郎などの京都学派などに興味を持って触れていたが、中国哲学の金字塔「論語」にも触れ始めた。

論語の原著は1巻から10巻まであり(岩波文庫版では全て一冊にまとまっている)、僕が読んでいるのは岩波文庫版で、原文(漢文)・書き下し文・日本語訳の三つがまとまって書かれている。初めは原文に何とか目を通して、書き下し文で感じをつかんで、日本語訳で内容を知るという感じだ。

入門者が言うのもなんだが、論語の凄いところは、解釈の自由度が非常に高いところだ。であるから日本語訳だけ読んでも論語の真意は全く伝わらない。原文(漢文)を苦労して解釈してこそ意義のある書物なのである。

大学入試の国語では漢文が出題される。センター試験の国語では漢文の配点は200点満点中50点だ。しかし大学受験生当時、好きな数学・物理ばかりに没頭し、漢文対策など全くしなかった僕の漢文の成績はご想像の通りだ。ですから、今論語の原文を読んでいると言っても完全な我流であり、非常に苦労している。大学受験生時代、漢文を勉強しなかったことを非常に後悔している。

しかしこんな漢文初心者でも、論語を読み進めるにつれ、平易な日常生活を描く中に深い本質を織り込んでいる論語という書物は、ヨーロッパ哲学にもギリシャ哲学にもない独自の世界観・学問が切り開かれていることが感じ取られる。

もちろん、論語の真意など、まだ読み始めた僕のような初心者にはわからないかもしれない。論語というものが偉大なものであるという一般的評価を信じて入り込むしかない。論語の中に深い真意があると信じて自分流の解釈を導き出す。この繰り返しで中国哲学の何たるかが1%ほどはわかったかもしれない。残りの99%を導き出すためには何度も読み込み、自分の頭の中に解釈に解釈を重ね、自分流の論語を作り出さなければいけない。

論語の真意は書物に書かれているのではなく、読む人間の頭に構築されると僕は信じている。

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