「役に立つかどうか」ということ以外の物差しを持つことの大切さ

物事が重要であるかどうかを判断するとき、多くの場合「役に立つかどうか」という物差しで判断されることがほとんどだ。しかし、「役に立つか」ということと「重要か」ということは同じではない。

20世紀初め、科学の世界で最も重要だと言われる理論が出された。「相対性理論」と「量子力学」だ。しかしこの二つの理論の科学的重要性は言うまでもなく大きいが、その一方全く役に立たないものであった。一般相対性理論などは理論から出る結論は従来のニュートンの重力理論とほとんど変わらず(しかし後にはブラックホールの存在など独自の結果を出していったが)「大山鳴動鼠一匹型の理論」とバカにする人もいたようだ。もちろん後談として、20世紀終わりには両理論とも社会に役立つ技術となり、特に量子力学に関しては社会の根幹に位置すると言っても過言ではないくらいである。しかし後に役に立ったからという理由から重要であると判断するのではなく、理論の科学的価値を判断して重要性を判断できるようにならなければいけない。

去年ノーベル賞を取られた物理学の梶田隆章さん、梶田さんの研究は「ニュートリノ振動の存在を確認することによって、ニュートリノに質量があることを示した」というものだ。この研究などは100年後にも社会に全く役に立たないに違いない。しかし非常に重要な結果である。その理由は二つある。一つは梶田さんの結果が従来の理論(素粒子標準模型)に反する結果であり、従来の理論を超える理論の存在を示唆するものであるということ、もう一つは素粒子物理学という分野が全ての科学理論の一番根本的な所に位置することである。

純粋科学というものは純文学に似ているのかもしれない。どちらも役に立つとは限らない(もちろん役に立つ科学もたくさんある)。しかしそれらの価値は役に立つかどうかというところから超えたところにある。そのような価値の重要性を見極めるためには真理を見極める目、そして感受性が必要だ。そのような真理を見極めるためには「役に立つか」ということ以外の物差しが必要なのである。

 

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