「何もかも男女平等」は本当に正しいのか?

某ネットサイトでこんな記事を読んだ。

元グラビアアイドル「一番後悔していることは子供を産まなかったこと。2億年前から人類が受け継いできたバトンを放棄してしまった。」

女子アナウンサー「出産適齢期は仕事が一番面白くなってくる時期にあたる。」

このやり取りを見て一番思ったのは、全て何もかも男女平等にするのは本当に正しいのか、ということである。最近は男女平等が極度に強調され、男女の違いを発言するだけでバッシングされるのをよく見かける。しかし男女の違いというものは存在する。その決定的な違いは体のつくりだ。出産は女性にしかできない。このことについては男女平等にすることは100%無理なことだ。しかしそのことに言及せずに女性の仕事・社会進出について男女平等を叫ぶことは危険だ。

前出のアナウンサーが言うように、出産適齢期と仕事が面白くなる時期が重なることがある。そうなった場合に男女で違いをつけるべきではないか。しかし違いをつけるといっても男女を差別するわけではない。「配慮する」と言った方が適切かもしれない。何しろ先ほど言ったように男女には動かしがたい決定的な違いが存在するのだから。それを無視して男女平等ばかり唱えていると、前出の元グラビアアイドルのように後悔してしまうことになるかもしれない。

「全てを平等にする」ということは実は全く平等ではないのだ。本当の平等は全ての人にそれぞれにあった最も適切な配慮をすることだ。今盛んに叫ばれている男女平等は表面的な平等に過ぎない。体のつくりが違えば働き方もおのずと変わってくるだろう。もちろん男女に昇進の差をつけろとか、そんなことを言っているのではない。もうそろそろ「平等」という言葉に異常に反応するのは止めて、「適切な配慮」ということに目を配るべきではないかと思う。

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