「人間が人間を殺す」とはどういうことか?原爆・終戦の8月。

毎年8月になると、日本では原爆投下、そして終戦が話題になる。もちろんこのことを毎年話題にするのは非常に意味のある重要な事で、もしこれが話題にならないようになれば、意識的に非常に危険な状態だと言える。

原爆に限ったことではないが、戦争とは言うまでもなく「人間が人間を殺す」行為である。自然界でも同種で殺し合うことはたまに見られるが、人間のようにお互いを無差別に大量虐殺するようなことは人間以外では見られない。

近年は世界的に人道支援の輪が広がり、それにつぎ込まれる資金も大きくなっている。しかし軍事費用はそれらの比でないくらい巨額だ。すなわち人間は、お互いを助け合うと言いながら矛盾した行為を行っているのである。

しかし最近、人間が人間を殺し合うよりも恐ろしいことが始まっている。それは「機械が人間を殺す」ことだ。例えば無人のドローンが人間を銃で狙撃するということが始まっている。そこにAIが関われば、アルゴリズムによって人間の意志とは関係なしに殺りくが行われることになる。

これまでの戦争は人間によって行われていたという点では、人間が罪悪感を感じ、逆に平和へと舵を切ろうという機運を作るきっかけともなった。しかしアルゴリズムによって殺りくが行われば、そこには効率化という概念しかなくなる。

長崎での原爆投下の式典では、安倍首相は核廃絶には一切言及せず、それどころか核保有国と非核保有国との関係を取り持つという趣旨のことを発言するという、考えられないスピーチを行った。言うまでもなく日本は世界で唯一の核被爆国であり、日本から発せられる核に対する発言は他の国とは重みが違う。だからこそ核に対して日本にしか言えないことがある。しかし安倍首相はそれを自ら放棄したのである。

トランプ大統領はアメリカファーストだと言われている。しかしそれはある意味アメリカ大統領として当然の事だといえる。そして安倍首相もある意味日本ファーストと言えるかもしれない。しかし安倍首相の核抑止力に対する日本ファーストは何とも気味が悪いものである。

昨今、北朝鮮の金正恩氏でさえ核放棄を口にしている(どこまで実効性があるかわからないが)。しかし安倍首相は核の存在を肯定しようという方向性を示しているといえる。このままではいつか、8月になっても原爆が話題にならない時が来てしまうような気がする。

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