「どちらが良いか」ではなく、「どちらがより悪くないか」という判断も大切だ。

最近、高速増殖炉「もんじゅ」を廃炉にするという方向性が決まったようだ。もんじゅについては既に一兆円以上のお金がつぎ込まれており、今まで引くに引けない状態だったのではということは容易に想像つく。しかし、大金をつぎ込んだからやめるのはもったいないという考えでズルズル引きずれば、損失は大きくなるばかりだ。

このもんじゅについての判断で欠けていたのは、「どちらがより悪くないか」という判断ではないか。「どちらが良いか」という判断は、精神的にも比較的判断しやすい。しかし窮地に立ち判断を迫られたとき、どちらがより悪くないかという思考をするのには勇気がいる。どうしてもそれまで取り組んできたことを引きずりがちになってしまうからだ。

この様な判断は、もんじゅについてだけではない。一般によく言われていることでもあるが、選挙でも同じことである。どの候補に投票しようかと考えた時、まずどの候補がより良いかという判断をしようとする。しかし多くの場合、良いと思える候補が一人もいない。そこで「どの候補もいいと思わないから投票しない」ということではなく、「より悪くない候補に投票しよう」と思うことが大事だ。そのほうがはるかに積極的で建設的な行動である。

現在、若者の投票離れ、政治離れが問題になっている。政治に関する関心は、教育と密接に関係している。学校では政治の仕組みについては詳しく学ぶであろう。そして「良いと思う候補者に投票しなさい」と。しかしなぜ一言「良いと思える候補者がいない場合は、より悪くない候補者に投票しよう」と言えないのか。このような思考の欠如が巡り巡って、もんじゅに対する対処判断にまで影響している。

もったいないとかいう感情的判断ではなく、何より建設的論理的判断をすることが必要である。そしてそれを行動に移して意思表示をする。そのようなことをしっかりすれば、権力をもった老人が若者を見下す態度も少しはましになるであろう。

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