抽出した理想論ではなく、荒削りの現場の経験が重要だ!

自己啓発本の類の本を読む人は多いが、自己啓発本が役に立ったという話をほんとんど聞いたことがない。それはなぜか?

自己啓発本とか、最近流行の「~の言葉」という本には、非常にきれいにまとまった理想論が載っている。きれいにまとまっているので、非常にわかりやすい。

しかし、そこに載っている言葉は、著者が試行錯誤して考え出された言葉だ。その言葉だけを読んでわかったような気になるかもしれないが、本当に必要なのは抽出された言葉ではなく「抽出する作業」である。

そのためには、きれいにまとまった言葉ではなく、現場の荒削りな生の言葉に触れなければいけない。すなわち、たくさんの”事例”に触れながら、自分独自の理想論を作り上げることが重要なのである。

昔のテレビドラマで、映画にもなった”踊る大捜査線”(フジテレビ)の中で、「事件は会議室で起きているのではない。現場で起きているんだ」とい言葉があった。まさしくそのとおりであり、名言である。

前線で数多くの事例を扱い、そこから試行錯誤して自分自身の考え・理想を構築していく。それの繰り返しによって、あらゆることのスキルが身に付いていくものだ。

目標設定は適切か?

人間が生きるためには、何らかの目標が必要だ。短期目標・中期目標・長期目標、それぞれをリンクしながら人生を切り開いていく。そして目標は高すぎると全く近づくことができないし、低すぎても達成感が得られない。

僕の現在の目標は、他人から見るととんでもなく高い目標に見えるかもしれない。それは自分でも認識している。しかし、とてつもなく高い目標でも、それが崖の上にあるのか、それともそこへ続く階段が見えているのかで、全く事情は異なってくる。

垂直にそびえる崖の上にあっては、例え高さが5メートルでもたどり着くことはできない。しかし階段があれば、着実に進めば100メートルの高さでもたどり着くことができる。

僕には目標への階段は見えている。その階段は現実か、妄想か、それは実現できたときに証明される。それを証明するために、一歩ずつ着実に階段を上っていこうと思う。

実用と教養を使い分ける。

日々物事に取り組んでいると、どうしても役に立つこと、つまり”実用”に偏りがちになる。役に立つとは、非常に分かりやすい。役に立つと言えば、何でもうなずいてくれそうに思う。もちろん役に立つことは素晴らしいことだ。しかし何だか技術的な事に偏りがちのような気がする。

その対極にあるのが”教養”だ。しかし、教養はすぐに役に立つとは限らない。もちろん教養が役に立つことは多々あるのだが、大概の教養は、徐々に熟成されるのもだ。とは言え、教養だけで納得してしまうのは、半分は自己満足であるような気もする。

結局、実用も教養も両方大切なのだと気付かされる。すなわち、これらは車の両輪なのだ。

実用も教養も、現場での実戦があってのものである。実践無き教養など、何の意味もない。ここで実践とは、「人間としていかにして生きるか」という意味もあるし、「社会でどう行動を起こすか」という意味もある。

実用と教養の相互作用によって、新たなる広がりが生まれる。人生を、そして社会をどう切り開いていくか、そのための武器として、実用と教養を使い分けながら進んでいかなければならない。

北朝鮮、核・弾道ミサイルの脅威に対する認識のずれ。

最近の日本国民の、北朝鮮の脅威に対する認識のずれが気になって仕方がない。テレビニュースを観ると、「何度も日本上空にミサイルを飛ばして迷惑だ」とか、「もし飛んでいる途中に失速して日本国土に落下したらどうするんだ」という意見を耳にする。

しかし、現在日本が抱える北朝鮮の脅威は、全くそのようなことではない。むしろ、上の国民の意見のようなことで済んだらいい方だ。

北朝鮮の本当の脅威は、「日本国土に、核ミサイルをピンポイントで狙われること」だ。例えば、東京にピンポイントで核ミサイルを狙われると、犠牲者は数十万人にのぼるという試算もある。もちろん実際は、それより多いか少ないかははっきりしないが、甚大な被害になることは間違いない。

そして先日の北朝鮮による核実験については、原爆ではなく、それより桁違いに強力な水爆であると言われている。その威力は、広島・長崎に投下された原爆の10倍以上はあると言われている。

今の日本が置かれている立場は、想像を絶するくらい危険な状態だ。日米韓の三国が動こうにも、動いた瞬間に水爆を飛ばされるかもしれないと考えると、動くに動けない。現在の立場は圧倒的に北朝鮮の方が強い。アメリカが強硬に出ない理由もそこにある。

確かに、国民が強い危機感を抱いたところで状態が良くなるわけでもない。しかし、くだらないゴシップにうつつをぬかしている日本国民の現状は、日本が置かれた現状を全く認識していないと言わざる負えない。

基礎と先端の両方攻め。

物事に取り組むには、基礎を身に付けることが大事だ。基礎なしには応用はできない。とは言え、いつまでも基礎ばかりに気を取られていれば、いつになっても最前線に到達しない。

そこで、基礎を習得しつつも、同時に最先端の事柄にも取り組むことが有効になる。基礎を100%習得する前に最先端を知ることによって、逆にどういう基礎が必要なのかということが見えてくる。それによって、本当に習得すべき基礎だけに集中できるので、時間の短縮にもなる。

このように、基礎の習得に励みつつ、最先端の事柄も視野に入れることによって、効果的な成果を挙げることができる。

今日決められないことは、1年経っても決められない。

僕が最近心がけていることは、「今日、絶対に決めるぞ!」と物事に取り組むことだ。「明日決めるぞ」と思っていれば一か月経っても決められないし、一か月経っても決められないことは一年経っても決められない。そして一生経っても決められないとずるずる引きずってしまう。

とは言っても、「今日決めるぞ!」と取り組んでも、大概今日決めることはできない。それならば、次の日も「今日決めるぞ!」と心がけて取り組む。毎日「今日決めるぞ!」と取り組むことによって、上手くいけば一か月後に成果を出すことができるかもしれない。間違っても、初めから「一か月後に決めるぞ」とは思わないほうが良い。

人生、毎日が真剣勝負。笑ったり、悩んだり、いろいろあるが、真剣に笑い、真剣に悩むことが大切だと思う。そのようにして、一日一日を刻んでいきたい。

「一発逆転」とは、才能と努力で成し遂げるものだ!

「一発逆転」と言うと、棚からぼた餅のように、運(ハプニング?)だけによってもたらされるものと思っている人が多い。お金のギャンブルがまさしくそうであろう。しかしそんなギャンブルでの当たりなど、はっきり言って”事故”でしかない。

一発逆転は、才能を駆使して、かつ、努力を重ねることによって成し遂げるものだ。

失敗に理由があるように、成功にも必ず理由がある。もちろん、運が全く関係ないと言えば嘘になる。運だって絶対に必要である。しかしそのような運は、才能と努力という前提があってのものだ。そして運をつかむのも実力とも言える。

「なんかいいことないかな~」と妄想する暇があれば、これからどのように実行しようかと思考し、行動すればよい。才能・努力・行動は、成功するための三点セットである。

楽しんで取り組める実力。

仕事でも日常でも、楽しんで取り組めるというのは素晴らしいことだし、それは実力でもある。もちろん仕事は楽しいことばかりではなく、時には非常に苦しく、厳しいものである。特に責任がのしかかる仕事は真剣勝負であり、プレッシャーも半端ないであろう。

そんな厳しい環境でさえ楽しめるのは、それは立派な実力だと言える。もちろん気の緩みは許されないが、「真剣に楽しめる」というのは素晴らしい。

とは言え、仕事は人それぞれ様々である。楽しいのが良いとか、苦しむくらいの気持ちでやらなければいけないとか、一括りで断言することはできない。

20年近く活躍した元プロ野球選手は、「楽しいと思ったことは一度もない」と引退するときに語っていた。そんな厳しさももちろん実力あってのものだろう。

自分への厳しさも実力、それを楽しめるのも実力と言える。何事に関しても、中途半端に手を抜くのが一番ダメだ。やるなら全力投球、それが人生を成功させる秘訣かもしれない。

21世紀は”生物学”の世紀になるか?

もう21世紀に入ってしばらく経つが、21世紀の科学はどのようになるのだろうか?

20世紀は「物理学の世紀」とも言われる。19世紀最後の年、1900年に発表されたプランクの量子仮説に始まり、20世紀初頭、量子力学と相対性理論という物理学の二本柱が確立された。その後の物理学はこの二本柱をベースに発展していく。

20世紀の物理学が”革命的”であったのに対して、20世紀前半の生物学は”古典的”であった。その生物学に革命が起きたのはもちろん、ワトソン、クリックによる遺伝子の二重らせん構造であることは言うまでもない。そして20世紀後半、分子レベルから見た生物学、つまり分子生物学が生まれる。

1990年代に入り、「ヒトゲノム解析計画」が進められたことにより、生物学に再び革命が起きる。21世紀の生物学の爆発の着火点は、もちろんこのヒトゲノム解析計画であることは言うまでもない。

21世紀の生物学は、革命の連続である。その一つはもちろん山中伸弥博士のiPS細胞の発見であろう。そしてその後、遺伝子を自由自在に操る「ゲノム編集」というとんでもない技術が確立された。これからの生物学では、このゲノム編集が重要な役割をすることは容易に推測される。

現在、物理学は熟成期に入ったと言える。それに対して生物学はまさしく爆発期である。

これから100年近く経ったとき、21世紀は生物学の世紀であったと言われる可能性は非常に高いが、この生物学の爆発的発展を見ると、生物学がこの後どのように発展していくか、全く想像できない。

物事を「理想化」して考えることの大切さ。

考える対象が複雑であるとき、対象をそのまま受け入れるとどうにもならないことがよくある。その時に大切になるのが「理想化」という操作だ。

物理学は理想化の代表例とも言える。物体の運動・現象は非常に複雑であることが多い。そのような時に、運動・現象の本質的な側面だけを抽出して、不要な要素を捨て去るのである。そうすると、非常に見通しが良くなる。この様な操作を「理想化」と言う。

理想化は、何も物理学だけのものではない。多くの学問でも行われているし、身の回りの出来事を考えるときでも理想化は無意識に行われている。

物事の本質を見抜けるかどうかは、理想化できるかどうかにかかっているとも言える。常に理想化的な思考ができるようになると、見える世界も大きく変わるであろう。