華やかな表舞台の陰で。

最近の小学生に人気の職業ランキングの上位に、YouTuber(ユーチューバー)が食い込んでいるようだ。そして最近の人気と言えば、藤井聡太四段の連勝でフィーバーが起こっているプロ棋士だ。

YouTuberもプロ棋士も、表舞台は華やかだが、実際の仕事は非常に地味な作業の積み重ねで、陰では非常に厳しい作業を行っている。

最近、僕の好きなYouTubeの釣りチャンネルをアップしているYouTuberの仕事内容・日常生活内容を知ったが、一週間で釣り3日、編集4日という割合だそうだ。編集は朝から夜まで行う。YouTuberというと、楽しいことをして、それを撮影してアップするという行為しか表には出されないが、実際はそれ以外の地道な編集作業がメインの仕事になっている。

そしてプロ棋士も同様である。対局している時間より対局以外の時間の方が圧倒的に長いが、対局時以外の時間はほとんど研究に時間を割いている。

そして、YouTuberやプロ棋士以外の世界でも、このような事情は同様であろう。いや、YouTuberやプロ棋士で飯を食っている人数の少なさを考えると、YouTuberやプロ棋士の方が圧倒的に厳しい。

どうしても華やかな表舞台ばかり目が行きがちであるが、小学生の人気職業などを見ると少し危機感を抱いてしまうのは僕だけであろうか?

量子コンピューターについて。

先日、日本が量子コンピューター研究に多額の投資を行うと発表し、それを受けて量子コンピューター関連銘柄が高騰しているというニュースがあった。

量子コンピューターとは、従来のコンピューターとは原理が違い、高性能というより全く質的に違うといってよい。従って計算速度も桁違いに速い。

量子コンピューターはまだ研究段階で、実用化はまだ先だと言われている。とは言え、少し特殊な「量子アニーリング」という原理を使った量子コンピューターはすでにカナダの企業により実用化されている。(この量子アニーリングの原理は、日本人が発明した。)しかし、”王道”の量子コンピューターはまだ素子を開発している段階だ。

量子コンピューターの理論研究の現状は、一昔前までは”ニールセン・チャン”と言われる量子コンピューターの教科書が唯一の文献であったが、最近では日本語の教科書も結構出てきている。

技術的な現状は、正直、僕には詳しいことはわからない。しかし、NECなどの日本企業が地道に開発を続けているという話は聞くが、あまりメジャーな研究ではないような気がする。

量子コンピューター・量子情報関係では、「量子暗号」の研究がそこそこ実用化に近づいているようだ。量子暗号は、”絶対に破られない暗号”だと言われている。

この、国による大規模投資がどれだけの成果を挙げられるか?科学的にも経済的にも注目を浴びるだろう。

トランプ大統領の暴言。

先日起きた、白人至上主義を掲げる差別主義者たちと、それを批判する反差別主義者たちが対立していたデモで、差別主義者の車が突っ込み死者が出た事件。この件に対してトランプ大統領の発言は次のような趣旨だ。

”ビジネスが上手く行き、雇用を創出できれば、差別主義などあまり重要ではない”(これは発言そのものではなく、発言の趣旨である)

これはもう、自由主義ではなく、暴言である。

アメリカは自由の国だと昔から言われている。しかしその一方、奴隷解放・黒人差別などに対しては毅然とした態度を取り、撤廃することの成功した。そして黒人大統領誕生(オバマ氏)にまで至った。そのオバマ氏に対する評価は厳しかったが、オバマ氏を大統領に選んだ国民は良識がある人たちだと思っていた。

しかしその同じアメリカ国民は、トランプ氏を選んだ。そしてそのトランプ氏は差別主義を助長している。もちろん、全国民がトランプ氏を支持しているわけではないので、「アメリカ国民は」と一括りにはできないが、トランプ氏に対する失望は日に日に増してくる。

トランプ氏には、「本当に大切なものは何か」ということに気付いてほしい。

同時並行で複数の事に取り組むことを楽しむ。

最近はネット・スマホの進化によって、身の回りの事が多様化され、同時に複数の事に取り組むことが多くなった。それのアンチテーゼからか、身の回りをシンプルにする、断捨離などが流行りだ。

確かにあらゆることに追われ、余裕をなくすことは良くないし、身の回りをシンプルにすることはそれを解決する一手段であろう。

その一方で最近僕が思っているのが、「複雑な身の回りを楽しむ」ということだ。すなわち複雑な現状をゲームのように楽しもうという発想だ。こう考え直すと、いろいろあることもかなり楽しくなる。楽しくなれば自然、パフォーマンスも上がってくる。現在の流行の思考とは逆行するものかもしれないが、これも現状打破の一手段だと思っている。

この”ゲーム化”的発想、意外とあらゆることに応用できる。物事によっては、ゲーム化することを真面目ではないと否定されることもあるが、成果を挙げるためには非常に良い発想だと思う。

人生”楽しんだもの勝ち”である。日々を楽しみ、かつパフォーマンスを上げる。この様な理想的な日々を実現させるための一考として、ゲーム化的な発想をするのはどうだろうか。

終戦記念日で想う、戦争放棄と防衛。

今年の8月15日、終戦72年を迎えた。全国戦没者追悼式での天皇陛下お言葉、及び安倍首相の言葉は、改めて戦禍を再び繰り返さないとの意思表示を述べるもので、日本の戦争放棄の基礎方針を確認された。

ところで現在の防衛政策での主眼の一つは、明らかに北朝鮮問題であろう。もちろん長い目で見れば、中国の脅威も見逃せない。しかし現時点だけを考えると、北朝鮮のミサイル問題は切羽詰った緊急問題である。

戦争放棄と防衛、この二つは決して分離して考えられるものではなく、密接につながっている。防衛には大きく積極的防衛と消極的防衛がある。積極的防衛は敵の攻撃に対して先手を打って、敵の攻撃拠点を狙うということだろう。消極的防衛はあくまで敵が直接攻撃したものに対してだけ防衛するというものだ。

積極的防衛はもちろん戦争放棄に反する可能性が高い。しかし自国防衛のためには積極的防衛という選択肢も念頭に入れなければならない。これらのことを否定して被害が大きくなれば、元も子もない。

しかし、積極的防衛を盾に戦争を開始してしまうということも否定できない。この様なことは断じて許されない。過去の戦争のほとんどは、防衛を名目に戦火の口火が切られている。

戦争放棄と防衛の定義をしっかりと定め、戦争を起こさないで解決するにはどのようにするのが最善策か?という最善手を常に模索していくことが要求される。このことは、政治家だけの仕事ではない。国民の意識にも大きく影響されるため、国民一人一人が常に関心を向けることが必要になる。決して無関心になってはいけない。

差別と区別を混同するな!

アメリカで、差別主義者と反差別主義者の対立デモ集会の人ごみに車が突っ込み、一人の女性が亡くなったというニュースがあった。差別主義者の独善的行動は許されるべきものではないし、特に出時の違いによる差別は決して許されるものではない。

ところで話は変わるが、世の中には差別と区別の違いを認識していない人が多いように思う。簡潔に言うと、差別とは上下に分ける事、区別は横に分けることである。

例えば、学校の名簿で男子が先に並んでおり、女子の名前がその後に並ぶ。これは区別か差別か?一見上下に分けているように思えるが、これは区別である。この並びは何ら優劣を指定すべきものではないからだ。もしこれが差別だというのならば、男子の列の中でも順番によって差別されていることになる。このような事例のように、見かけに騙されてはならない。

区別を差別だと批判されることが多くなり、何かとやりにくい世の中になってしまっている。区別と差別の違いくらいはしっかりと認識できる思考を持ってもらいたいものだ。

とは言え、差別主義は時代と逆行するものであり、また時代云々ということを別にしても決して許されない。

蓮舫氏の一番の業績。

僕はこれまで蓮舫氏にはかなり批判的なスタンスをとってきたが、蓮舫氏の業績について一つだけ大きく評価していることがある。

それは、民主党政権下で行われた「事業仕分け」での、スーパーコンピューター開発費を巡っての発言、「2位じゃダメなんでしょうか?」だ。

なぜこの発言を評価しているかというと、この発言により「科学というものは1位でないと意味がない」ということを、広く国民に認識させたからだ。

科学というものは、1位だけが100%の実績を得る世界だ。科学(サイエンス)では、二番煎じ、三番煎じには全く価値はない。

もちろん、ビジネスに関わる科学技術(テクノロジー)では少し事情は変わる。三番煎じでも、量産化技術に成功するなどして利益を上げれば、ビジネス的には大きく評価されるだろう。だから技術開発で二番煎じ・三番煎じで突破口を開くことはよくあることだ。

しかし、科学(サイエンス)では、皆、一番乗りを目指して切磋琢磨している。例え小さくても1番煎じが評価されるのだ。

狙いはどうだったか知らないが、蓮舫氏のこの発言はそういう意味では評価されるべき発言だ。

表を見て、裏を見る。

「奇をてらう」という言葉があるが、これは、「表を見ずに裏を見る」ということである。まず初めに「表を見る」、すなわち物事の基本、あるいはスタンダードを知り抜くことが大事である。物事の基本・スタンダードを知り、物事の本質を見抜く。そのうえであえて裏をかくことが大事なのである。

何かにつけ、基本・スタンダードを知ろうとせずに「裏ワザ」的な事をいきなり狙おうという風潮は、良いことではない。「指揮法を知らない指揮者」と「指揮法を無視する指揮者」は全く違う。しかし世の中には、指揮法を知らない指揮者が多すぎる。物事を十分に考察せずに”陰謀論”などを語る人もそうであろう。

裏をかきたければ、表を熟知しなければいけない。桶狭間の戦いで、相手の戦力・状況・地形・天気を熟知したうえで奇襲をかけた織田信長のように。

良心を持ったワルになれ!

ワルとは、世間的に、あるいは社会的・組織的に悪者とされる人間という意味で書いた。

世間から見て、あるいは社会的・組織的に見てワルとはどういう人なのか?このワルとは時代や組織によって定義は変わるし、自分が悪いことをしていないと思っていても悪者というっレッテルを貼られることは多々ある。だから、世間的に良い人間でいようなんてことを考えることにあまり意味はない。自分が正しいと思うこと、自分が悪くないと思うことを貫けばいい。その結果ワルとされても、そんなことは気にする必要はない。

もちろん、極悪のワルになってはいけない。良心を持ったワルにならねばいけない。

世の中の決まり・ルールには、明らかにおかしいというものが多々ある。その時に、それはおかしいからと堂々と決まりを破ることができるか。自分が正しいと思うことを貫くためにルールを破ること、それが勇気である。

ルールをきっちりと守る人には二種類ある。それは、良心から守る人、そしてもう一つは自分の保身だけを考えて守る人。

保身を考えて守る人は、単なるイエスマンでしかない。しかし現実には、ルールというものは保身に訴えかけて守らせるものだという側面は大いにある。

ルールを見て、なぜそうしないといけないのか?という奥に潜む意味を考えないといけない。確かにそんなことを考える人は、取り締まる人・支配者には厄介な存在であろう。逆に言うと、ルールに盲目的に従う人は扱いやすい。

規則の表面だけを見て意味を考えない状態は、パブロフの犬状態だと言える。そんなパブロフの犬に自我はない。

自分が正しいと思うことを正しいと主張できる、良心を持った”ワル”になることが大切だ。

核兵器弾道ミサイル迎撃に対する懸念について。

北朝鮮が、弾道ミサイル発射を宣告した。弾道ミサイルは、島根・広島・高知の上空を通過し、グアム周辺に落下するとの詳細な計画まで予告している。これから発射までの約一か月間、日本とアメリカは、防衛計画を煮詰めることになりそうだ。

そこで問題になるのが、北朝鮮の弾道ミサイルに核弾頭が搭載されるのかどうかということであろう。もし核弾頭が搭載されているミサイルを迎撃した場合、どうなるのか?防衛省局長は「迎撃により起爆装置などの機能は喪失する。核爆発による被害は発生しない」(時事通信)との認識を示している。

確かに迎撃により、起爆装置は作動しないかもしれない。起爆するには、核分裂連鎖反応を起こさないといけないが、核分裂連鎖反応は簡単には起きない。だから、防衛省局長の言っていることは全うなことだ。

しかし核爆発と核物質汚染は話が違う。核爆発しなくても、日本上空で迎撃すれば核物質の飛散は免れない。

確かに、核爆発に比べると核物質飛散の被害は小さいかもしれない。ただし、長期的な影響が残る核汚染に対する懸念は大きい。

もちろん、そのような被害がないことを祈るばかりであるが、ただ迎撃すれば完全に安全だという簡単な話でもないように思える。