ピンチはチャンス!

大きなピンチを乗り越えた時、それは大きなチャンスに変わる!

僕自身、つい最近まで大きなピンチを背負っていた。しかし何かと打開策があるものである。しかしその打開策を実行するためには大きな思いっきりが必要だ。僕自身、これまで長い間負っていたものがあったが、それを打開するために一歩踏み込んでみると意外と難なく突破することができそうにある。

もちろんピンチは砂浜に押し寄せるさざ波のように、繰り返し何度も押し寄せてくる。時にはさざ波どころではなく、人生を破滅させるかと感じるような高波が押し寄せてくることもある。

しかし高波の後ろには意外と平穏な水面が広がっているものである。すなわち、大きなピンチの後には大きなチャンスが待っている。

ただ、受け身の状態だとその高波は乗り越えることはできない。能動的に越えようとするアクションが大事である。

僕も今まで人生が破滅するかもしれないと思えるようなピンチが何度かあった。しかしそのピンチを乗り越えることができた。そして現在、乗り越えようとしているピンチも二つほどある。しかしそれらのピンチの後に大きなチャンスが見えている。

何かを成し遂げようとする意志がピンチを乗り越える原動力となり、その後のチャンスにつながると僕は考えている。

必要な経験。

「経験がないからできない」という人は、経験してもできない。重要なのは「どの経験が必要なのか?」という具体性である。今何の経験が必要か?ということを見極め、認識しなければならない。

もちろん、何の経験もなしに物事をこなすことは難しい。しかし経験があればいいという訳ではない。経験をものにするためには、考えながら行動することが必要だ。一流プロ野球選手はただ練習しているだけではなく、バッターボックスの中であらゆるシチュエーションを考え、体の動かし方を試行錯誤していると言う。

もし何も考えずに経験し、できていると思っているのならば、それは錯覚だと思って間違いない。さらに、経験とは与えられるものではなく、自分から得に行くものである。そのためにも何の経験が必要なのかということを認識することが重要なのである。

経験を積むのに遅いということはない。もし自分に何の経験が必要かと強く認識できているのならば、今すぐにその経験を求めていくべきだ。

必要なのは、目をそらすことではなく、徹底的に向き合うことだ!

苦しかったり自分に不都合なことがあれば、多くの人はそこから逃げたくなるだろう。もちろんそこから逃げるということは一つの選択肢かもしれないが、逃げたり目をそらすことは一時しのぎでしかないことが多い。

苦しい時はどうしても目をそらしたくなるかもしれないが、そこはあえて正面から徹底的に向き合うことが大事だ。そうでないと根本的な解決には結びつかない。目の前の事についてとことん向き合い、理解する。理解が深まれば解決の手がかりが見えてくる。

選択肢は多くの場合、逃げるか、向き合うかしかない。その中間的な選択肢を選んだ場合は、ほとんどの場合最終的には逃げるという方向に進んでしまう。従って強く意識して向き合わないと、根本的解決へとは進まない。

苦しいことや不都合なことは、あらゆるところで頻繁に表れる。だからこそ基本的スタンスとして、徹底的に向き合うという姿勢をはっきりとさせていなければならない。

徹底的に向き合うことで本当に解決するだろうかと疑問に思うかもしれないが、いざ徹底的に向き合い理解が深まれば、意外とスムーズに解決へと向かうものである。

「前例がない」はできない理由にはならない!

日本の社会は何かと前例主義である。社会でも、それができるかどうかを判断をする時、まず前例を徹底的に調べる。そして前例がなければ、それは100%できないものとみなされる。

メジャーリーグの大谷翔平選手が前代未聞の二刀流に挑戦している。もちろん大谷翔平選手が挑戦している二刀流は、プロ野球界では前例がないものである。

専門家や元プロ野球選手をはじめ、大谷選手の二刀流に関して否定的な意見を述べる人が多い。しかしその多くは、できない理由を「前例がない」ということにおいているように思える。しかし実際は、現在はけがをしているとは言え、大きな活躍を見せている。

物事とは初めは全て前例がない状態である。即ち誰かが前例のないことに挑戦しないと始まらない。ガリレイやニュートンの物理学も、前例のない所に物理学という分野を打ち立てた。現在日常的に使われているコンピューターも、初めは非常に初歩的は計算機を作り上げるという、前例がないことから始められている。

確かに前例がないことを始めることは、リスクが非常に高い。これまでにそのような前例のないことに取り組み、夢破れた多数の人たちがいたであろう、しかしその中の少数の人たちは、前例を打ち破り大きなブレークスルーを打ち立てた。

自分は前例を踏襲するべきか?前例を破るべきか?後者を取る場合は非常に大きな逆風を突き進むことになるが、それが成功した時の達成感は半端ないだろう。

まずは資本を確保する。

近年のネット環境の発達により、お金を使わずにできる事が増えた。例えば音楽動画などを見たければYou Tubeでいくらでも見れるし、連絡を取り合うのにも電話代を払わずにLINEでメッセージのやり取りができる。しかし自分を高めるアクションを取る時、どうしても最低限の資本は必要になる。

普通の人には何の苦労もなくできる事が、僕には出来なかったりする、しかし他の人には絶対にできないことが、僕にできる自信もある。しかしそれには最低限の資本が必要である。

数学や物理の専門書も一冊1万円以上するものはたくさんあるし、今成し遂げようとすることもそれを世に出すためには資金が必要である。確かに金融投資などと比べるとその金額は少ないかもしれないが、自己投資には“投資”という用語が使われているように資金が必要である。

しかし最近、自分が自由になりつつある。自由だということは資本獲得にも動き出せるということである。そして時間の自由も増える。これまでは自分で自分を縛り付けているようなところがあったが、今、行動の自由と精神の自由を大きく獲得していろいろとアクションが取れる状況になりつつある。

この自由を後戻りさせてはいけない。自由をフル活用して、最低限の資本を確保し、自分が持っている高い目標へと上り詰めようと思う。あとは努力をするのみだ!

例外を作らない。

あらゆる分野に関して、必ず例外というものが存在する。時には例外が大きな変革を起こすことになる。しかし自分の内面と向き合い自分を変えようと思っている時、例外を作ることは許されない。

自分の内面に関して例外を作ってしまうと、そこが逃避地になってしまう。逃避地が存在していると、いつでも逃げられると思ってしまい自分を変えることができない。もちろん今の自分に満足しているのならば問題ないが、自分を変えようと試行錯誤している時には、あえて逃避地を作らず覚悟を決めることが重要になる。

僕自身、自分を変えなければならないところは多々ある。そして常日頃自分の弱点を克服しようと試行錯誤している。そんな時、逃避地の存在、そして例外を作っていることが逃げにつながり一向に変えられないことに気付いた。

自分を変えようとする時、初めの一歩には勇気がいる。初めの一歩を踏み出すことに、自分を変える労力の99%を使うと言っても過言ではない。しかしその一歩を踏み出せば、自分の内面の世界が大きく変わることが実感できる。

今日、その一歩が踏み出せたような気がする。この一歩を確実にものにし、その後の百歩へと何とかつなげようと覚悟を決めたところである。

死の谷。

iPS細胞の山中伸弥教授が言ったことであるが、研究結果を事業化しようとすると死の谷というものに直面するという。事業化するにあたって、その過程で資金は莫大にかかるがすぐには利益に結びつかない時期が生じるというものだ。

そのような死の谷は、人生においても直面するのではないだろうか?すぐには結果が出ない。しかし避けては通れない過程。そこが人生の死の谷だと思う。

無難に死の谷を避けて生きるのも一つの手かもしれない。しかし死の谷というものは、リスクでもあり投資でもある。リスクと投資なしでは大きな結果は望めない。

最近は何においても便利さと効率化が重要視されてきている。それと対極的にリスクは出来る限り避ける傾向にある。しかし果たしてリスクは悪なのか?人によっては徹底的に悪と捉えるだろう。しかしリスクは成功への投資でもある。

死の谷の中にいるときは本当に苦しい。しかしその先が少しでも見えているからこそ死の谷の中に飛び込んでいるわけでもある。死の谷はビジョンの中にある。死の谷の中でビジョンを具体化させ、それが成功した時、死の谷から脱出できるのだろう。

死の谷を乗り越えた時、その前に広がる風景は一変するに違いない。

逃げるのは最後でいい!

戦略として、負けそうな試合を早めに切り上げて次に備えるというのはありかも知れない。しかし自分が何かと向き合っている時、ギリギリまで粘ってみることが重要である。形勢というものは一つのポイントで急に変わることがよくある。そのポイントを逃さないためにもギリギリまで粘ってみる必要がある。

逃げるのはいつでもできる。だから逃げるのは最後でいいのである。勝ち癖を付けることが大事であるのと同時に、負け癖は出来る限り付けない方が良い。そして逃げ癖も同様である。しかし“逃げ”と“失敗”は違う。僕は失敗をすることは大事だと考えている。

失敗には継続性がある。失敗は次につながるのである。大きな成功は繰り返してきた失敗から生まれる。失敗をしない人は成功もしないと思っている。なぜなら失敗とは挑戦の証であり、挑戦しないことには成功もない。大きな成功を目指しているのならば、多くの挑戦を繰り返し多くの失敗を積み重ねることが大事である。

失敗とは違って、安易な逃げは次につながらない。逃げるとそこで打ち切られる。安易な逃げは次の逃げを呼ぶだけである。もちろん安易な逃げは失敗でさえもない。

とは言え、どうしても逃げないといけない時もある。絶対的に逃げ出さなければならないと判断した時は、勇気をもって逃げよう。ポジティブに判断した末の逃げは絶対に次につながる。

ギリギリの状況をどう切り抜けるか?そこではこれまでの失敗を次に生かせるかということにかかっている。

プロスポーツ選手から活力をもらう。

テニスの錦織圭選手がウィンブルドンで8強に入った。途中までは僅差のゲームが続いたが、最後は錦織選手が圧倒的な力の差を見せつけた。

錦織選手に限ったことではないが、日本人プロスポーツ選手の活躍からはいつも活力を与えられる。最近ではサッカー日本代表、メジャーリーグの大谷翔平選手、そしてフィギュアスケートの羽生結弦選手など日本人選手の活躍が目覚ましいが、どのプロスポーツ選手からも大きな力を得ることができる。

もちろん、活躍するプロスポーツ選手から得た力をどう自分の躍進につなげるか、そこは自分自身にかかっているが、自分も世界で活躍するプロスポーツ選手に負けないくらいの活躍をするぞと気合が入る。

僕はどの世界においても、プロといわれる人には敬意を持っている。スポーツ選手に限らず羽生善治氏や藤井聡太氏のようなプロ棋士をはじめ、全ての職種においてプロと呼ばれる人すべてにリスペクトしている。

明確にプロとアマチュアの線引きがされている分野もあるが、プロの定義が難しい職種もある。しかし一番大事なのは「プロ意識」だと思う。プロスポーツ選手を目指している人やプロ棋士を目指している人は、プロになる前から強いプロ意識を持っていると感じる。プロ意識なしにプロは成り立たない。

錦織選手は次は4強を目指して戦うことになる。しかし強い刺激をもらうためにも、4強と言わず頂点を目指して勝ち進んでほしい。僕も一日本人としてすごく応援している!

僕には大きな夢がある。今からでも遅くはない!

歳を取ると、もう夢を見るのには遅いと言われることが多い。はっきり言うと「夢を“見る”」のには遅い!少年や少女のように夢を“見る”のには確かに遅いのである。しかし「夢を成し遂げる」ことに対しては全く遅くはない。夢は見るものではなく成し遂げるものなのである。

僕も今までいろいろなアクシデントがあった。それがために大きな回り道をすることになって、現在はまだ夢を成し遂げるには至っていない。しかし夢を実現させるための手応えは大きく感じている。

僕の夢は、物理と数学、すなわち数理物理の研究にある。それを成し遂げるビジョンは明確にある。後は細部を詰めて形にするだけだ。もちろんそこが非常に難しいところであることは理解している。

まず一つの大きな結果を出すことが大事である。しかし一つ結果を出したらそれで終わりではない。結果を出したら次の目標へと切り替えなければならない。それの繰り返しである。

iPS細胞の山中伸弥教授の言葉である「VW(ビジョン&ハードワーク)」を常に心がけて、常に挑戦し続けて行こう!何と言おうと僕は「超攻撃的人生」を進むと決めたのだから。